日時 | 平成18年(2006年)10月18日(水)・19日(木) |
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会場 | 主婦会館プラザエフ |
主催 | 全国女性会館協議会 |
主管 | 財団法人 主婦会館 |
主題 | 「女性関連施設が築いてきたもの、そして明日へのチャレンジ」 » 開催要綱 |
内容 | 【10月18日(水)】 役員会 総会 婦人会館50年を語る~中村紀伊会長を囲んで~ 【10月19日(木)】 |
発題者: | 須田 和 (尼崎市女性・勤労婦人センター トレピエ 所長 指定管理者 (特活)男女共同参画ネット尼崎) |
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記録者: | 山田 智 (埼玉県男女共同参画推進センターWith Youさいたま 管理担当課長) |
参加者数: | 34名 |
発題者の「尼崎市女性・勤労婦人センター トレピエ」須田所長から、尼崎市における指定管理者制度への対応について説明があり、その後に参加者同士の意見交換が行われました。須田所長からはNPO法人の設立の経緯、指定管理者への応募と選定の経緯、施設管理上の苦労話、より充実した事業など、運営の理念やノウハウなど詳細な事例紹介がありました。その後の情報交換では、ほかの自治体における類似・先行事例のほか、指定管理者となった民間会社の方からの事例紹介などがありました。
<尼崎市女性・勤労センター トレピエの取り組み事例>
<情報交換・各地の事例紹介>
発題者: | 渡辺 兼光 (仙台市男女共同参画推進センター エルソーラ仙台 館長) |
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記録者: | 河村 真紀子 (主婦会館 企画担当) |
参加者数: | 11名 |
コーディネーターのエルソーラ仙台、渡辺館長より、「企業との連携」というテーマについて、単に企業から支援を受けて実施する事業ということだけでなく、男女共同参画社会を社会全体の取り組みとして実現していくために、女性センターと企業はどのような関わり方があるかという視点で情報交換を進めたい、という提案がありました。そしてそのような考え方の土台として、以下の5つの分類といくつかの事例が示されました。
<仙台市男女共同参画推進センターの市取り組み事例>
Aのパソコン講座の事例では、企画の過程で複数の企業と接触し、その際にエルソーラの他の事業、例えば「セクハラの出前講座」などを企業に理解してもらう機会となったことが大きなポイントだと感じたとのことです。企業の支援を得て行う事業(A)から、結果的に企業への啓発(D)につながり、また今後、企業を対象とする事業(B)を実施するきっかけ作りになるなど、広がりを生まれるということが確認できました。
<情報交換>
主婦会館より、J&J社会貢献委員会の支援を受けて全国各地で実施している「女性のためのウェルネスセミナー」シリーズの紹介がありました。2年目の昨年からは、セミナーの内容をまとめた小冊子が作成され、無料で配布されています。一般市民向けの事業でしたが、この小冊子をJ&Jおよびその関連会社の全社員にも届けたいということで大幅な増刷依頼があり、結果的に企業から支援を受ける(A)だけでなく、企業に対しての啓発(D)につながった事例となったとの報告がありました。
今回の情報交換のサブタイトルは「成功例に学ぶ」ですが、いくつかの施設からは、企業と連携するにあたっての障害、問題についての発言も相次ぎました。
失敗例としては、ある企業の支援を受けて講座を行ったところ、その企業の営業担当者がやってきて、施設の複写機をこの企業のものに取り替えるという交渉をされ困ったという事例が紹介されました。
また、そもそも企業名を出す事業が実施困難であるという発言、あるいは企業名を出すことができる場合でも、その企業を選んだ理由の説明を求められ、地元の企業をなぜ選ばないかなどのプレッシャーがかかるという発言もありました。
指定管理との関連では、管理体制が変わり仕事量は増え、働いてくれる人への報酬の確保が大切だが、どういう仕事なら受けてもいいのかという切り分けのルールがはっきりわからないという発言がありました。自主事業をやっていいことになっているのに、役所は「縛り」をちらつかせるので、仕事を受けるうえで不安があるようです。
これらについては、指定管理の問題を超えて、女性センターのヴィジョンの確立が大切であることも指摘されました。
問題を乗り越える考え方も提示されました。企業名を出してはいけないということについては、明確なルーではなく、多くの場合なんとなく慣例のような形で、自己規制されているのではないか、これからは、いいことにお金を出す企業はどんどん名前を出してあげればいいという意見も出されました。
また、講座の講師の著書を会場で売るという行為も、参考になる資料を紹介するという、市民・参加者へのサービスとは考えられないか、あるいは印刷物の中に企業名を出す場合、宣伝としてではなく、企業の取り組みの事例紹介として取り上げることで可能になるのではというように、視点を変えるという提案がありました。また、連携事業の企画内容を商工会議所の会報に掲載してもらうというような、仕事になる前の「予算をともなわない活動」のアイデアも出されました。
マイクロソフト㈱からの参加者からは、企業との連携とはお互いに得るものがあるものであるべきだという、基本的な考え方が示されました。短期的メリットではなく、長い目で見て、社会貢献活動の周知、企業への評価のアップなどを期待しているということです。連携にあたって大切なこととして、互いに社会の一員としてやっていくという意識、目的の共有化、事業の成果などへの両者の意見のすり合わせという点が挙げられました。
最後に渡邊館長の、外への働きかけと同時に、内向けの説得、意識の変革というものが大事であること、企業との連携を、男女共同参画社会づくりという大きな流れの中で考えていきましょうという言葉で締めくくられました。
発題者: | 岩船 弘美 (男女共同参画センター横浜北副館長) |
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記録者: | 片山 公子 ((財)日本女性学習財団) |
参加者数: | 12名 |
事例を発題者がパワーポイントを使用して紹介し(約30分)、質疑(約15分)の後、各センターの取組の現状や事例に対する感想・今後に向けた取組について意見交換がなされた。
<男女共同参画センター横浜北の取組事例>
男女共同参画センター横浜北は、(財)横浜市男女共同参画推進協会が指定管理者として運営している。市が市民との協働を積極的に進める中、事業の5~6割をNPOや企業と協働している。市民グループの活動・研究を助成する「市民活動支援事業」(1989年)を、「市民活動協働事業」と改め(2003年)、”支援”から”協働”へと転換した。
市民企画講座事業では、講座・イベント企画を公募し、助成金15万円/会場提供/打合せスペース・ロッカー・印刷機・コピー機の提供/学校・行政などへの出前の売り込み/センター発行媒体での告知/相談・研修機会の提供/保育の協力などでNPOを支援し、協働事業を毎年5団体と1年間にわたり展開する。
女性センターは資金・事業ノウハウ・行政との連携・広報媒体・施設・社会的信用などの資源があり、NPOには地域の視点・フットワークの軽さ・ぎょうせいとはことなる独自のネットワークや媒体がある。協働は、双方のメリットを生かし、地域の課題解決に効果的である。女性センターがNPOを育てるのではなく、自立したNPOと協働することでNPOの足腰をより強くすると同時に、女性センターに縁遠い地域住民にも必要なサービスを届けることが、センターのミッションの実現につながる。
<対等な立場を保障するシステムづくり>―大阪府男女共同参画センターの場合
行政改革が進む中で大阪府から「NPOとの協働」モデル施設に指定され、対等な立場をどう構築するかという視点でシステムづくりをしてきた。事業運営の指定管理者となっている財団の理事会に直属した「専門委員会」をつくり(NPO代表も委員)、NPOへ対価保障をしていくために、事業費の20-25%を事務費として上乗せした額を予算で認めるよう大阪府に提言・折衝する権限をもたせた。現在、電話/面接相談・子どもの部屋運営はNPOに全面委託し、事業企画はNPOからの派遣スタッフが参画している。
<NPOはメリットをアピールする”工夫”を>-大田区男女共同参画センターの場合
長年、市民参画を積み重ね、公設でも区民の自主運営委員会が実質運営してきた。NPOが指定管理者となって2年目、以前より利用者が増えた。職員は利用者に積極的に挨拶し、講座のタイトルなどにも知恵を絞っている。連続講座に参加した市民が、次年度の企画運営に参画するしくみがある。NPOはもっと工夫を!
<相談業務の協働> 相談業務は地域課題の最前線であり、そこで問題となっていることを事業に反映させることは重要で、外部委託した場合に女性センターは住民のニーズを把握するための工夫はあるかとの質問に、「協働するならNPOとの連携が課題。意見交換の場をもつ。丸投げではなく、センターの蓄積をNPOに継承するには、職員にはより難易度の高い仕事が求められる」どのように協働相手を選ぶのかについては、「実力を備えたNPOが育っていた。また女性センター(大阪府、横浜など)がつきあってきたNPOが成熟し、信頼関係ができていた」「今後はセンターの役割は人材養成ではないか」という意見が交わされた。
<まとめ> 既存の団体との関係を見直す必要性(広島県)や、同じフロアで市民活動支援センターなどと複合施設になる (摂津市,大津市)など、手探り状態との発言も目立ったが、複合施設のメリットを生かした協働、連携の可能性もあるのではないか、また保育事業はNPOとの協働を導入しやすい分野ではないかとの提案があった。(発題者から)
発題者: | 加藤 直子 (埼玉県男女共同参画推進センター 所長) |
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記録者: | 小林 直美 (埼玉県男女共同参画推進センター 専門員) |
参加者数: | 16名 |
発題者の加藤所長より「女性のチャレンジ支援事業」を実施しているのは、埼玉県男女共同参画推進センターを「コーディネート型センター」(「これから何かを始めよう」という個人がセンターに相談に来たとき、活動実績のある団体や関連施設に繋いで女性の自己実現を支援する)へ移行していく上で縦横名取組みとして位置付けていることが説明されました。事業の理念、運営方法、事例紹介、課題等について話された。
<埼玉県男女共同参画推進センターの取組み事例>
<情報交換会>
~女性関連施設が築いてきたもの、そして明日へのチャレンジ~
婦人会館50年を語る ~中村紀伊会長を囲んで~
2016年10月18日
全国女性会館協議会は、昭和31年11月に主婦会館で開かれた「婦人会館について話し合う会」が始まりでした。主婦会館の創立者であった奥むめお(当時参議院議員)は、各地で婦人団体活動の拠点となる施設の設置を呼びかけ、この頃全国に19の婦人会館が設立されていました。消費者運動(当時は新生活運動)を進めている主婦たちの夢の実現であった主婦会館もこの年の5月に7年掛けて完成していました。中村会長は、東京主婦会館の建設に当たって夢を描いたイラストを示しながら話されました。主婦の店、商品試験室、宿泊室、相談室、内職補導,ホール,学習室など現在の婦人会館、女性センターにつながる内容が描かれていました。
全国婦人会館協議会の名前は、第5回大会に開催館が所在する自治体から助成金を受けるための命名、このとき規約も作られたというエピソードが話されました。
水戸からこの夜のために駆けつけられた静間さんから茨城県婦人会館の40年をうかがい、私立婦人会館の今昔を考えました。
国立婦人教育会館設置の陳情裏話や第21回大会を開館早々のヌエックで開いたときには主婦会館から机や椅子をトラックで運んだことなども披露され、会場にいた志熊元婦人教育課長からはヌエックは会館協議会に常に支えられ車の両輪と話され、連携・協力を確認しました。
もりおか女性センター館長の平賀さんは、この4月から指定管理者となったNPOの理事長としてのご苦労を語り、女性の地域の力で施設を運営していくことの意味や様々な力が必要なことは50年間の婦人会館の経験に通じると発言しました。
国際婦人年連絡会の世話人を務められた中村会長は、男女共同参画社会基本法の成立や基本計画の策定にも関与され、民間自力で出発した婦人会館が男女共同参画の拠点として、位置づけることにも努めました。私立の婦人会館が女性の施設管理や経営能力の開発・発揮となる機会を作ったことの意味を継承して、さらに発展することを期待されました。
会場には「婦人会館ニュース」「婦人会館の栞」など現在の「女性会館の現況」の前身である冊子や写真などが展示され、参加者は手にとって50年間の婦人会館の歩みを話し合いました。
全国女性会館協議会理事長就任挨拶
1956年11月「婦人会館について話し合う会」が主婦会館の呼びかけで開かれて50年、全国女性会館協議会は去る10月18・19日に第50回全国大会を開催しました。
この50年間、婦人団体活動の拠点であった婦人会館から国際婦人年・国立女性教育会館の開館を契機とした公立女性センター増加、さらに男女共同参画の拠点施設へと変遷し、女性関連施設(女性会館、女性センター、男女共同参画センター等)の数も19から360と全国に普及しました。一方、女性関連施設を取り巻く状況は厳しくなり、また女性関連施設に求められる役割や期待も大きく変化してきました。
協議会では、この2年間将来構想検討委員会を設置し、会員館へのアンケート、関係者へのヒアリングなどを行い、今後の協議会のあり方を検討して参りました。その結果、協議会を、親睦を主な目的とする任意団体から全国の会員館をネットワークし、支援する法人格を持った団体へ移行する提案を行いました。
さらに、これまで一貫して協議会を指導し、支えてこられた財団法人主婦会館理事長の中村紀伊さんが会長を退任されることになりました。第50回全国大会中に開催された総会では、規約の改正と役員改選が行われました。
中村会長の後を受けて、多様性を特色としつつ、男女共同参画をめざすという共通課題を持つ全国の女性関連施設のネットワークと、NPO法人化をめざした協議会の体制整備という課題に取り組むことになりました。
幸い、マイクロソフト社からの助成事業を本年から実施することができ、新たな活動分野の開発、地域の様々な社会資源との連携を展開することができました。
皆様のいっそうのご支援とご指導、ご協力をお願い申し上げます。2006年10月20日
大野 曜(財団法人日本女性学習財団理事長)
中村会長 挨拶
―全国女性会館協議会第50会大会挨拶より~
全国女性会館協議会第50回全国大会にご参加いただきありがとうございました。
第50回の記念大会を第一回の開催館であった主婦会館で開くことができたことを心から嬉しく思います。
全国女性会館協議会は、昭和31年・1956年、最初の主婦会館が建設、オープンした年に、全国から19の婦人会館の館長が集まって「婦人会館について話し合う会」を開いたことが始まりでした。民間自力の施設経営の厳しさを話し合い、全国にどういう婦人会館があるのかと「婦人会館のしおり」をつくり、自主的に経営問題や事業内容の充実、職員研修などについて情報交換を図り、互いの親睦を強めるため年一回の研究大会の開催などを行ってまいりました。
公私立の婦人会館・女性センター・男女共同参画センターが名称や所管官庁、管理運営形態などの枠を超えて集うわが国唯一の女性関連施設の全国組織として50年続いてきたことに深い感慨を覚えております。
主婦会館の創設者である奥むめおは、戦前から婦人運動の拠点として働く婦人の家や婦人セツルメントを作っていましたが、戦後、新生活運動の推進のよりどころとして主婦会館を建設しました。その完成にあたり「叩いた門は開く」と忍耐強く活動することを呼びかけました。また、婦人会館ニュースの創刊号には「婦人会館の規模に大小があっても、その事業が真に万人のために役立っているか、相寄る者みんなが心を一つにして協力し合っているか、隅々まで利用する人々の心が通っているか」、が価値判断の基準となると書いています。これは、施設の自己評価を行う上で現在でも有効な指標だと言えます。
昭和50年頃までは私立が多かった協議会ですが、現在では公立が8割を占めるようになりました。その公立も行政改革による指定管理者制度の導入など地域のNPOや企業等との連携が強く求められ、多くの課題を抱えています。名称も婦人会館から女性センターへ、さらに男女共同参画センターへと変わってきています。協議会自身の役割も親睦・交流中心から中間支援組織的な性格をより強く持たなくてはいけない時代となりました。
今年の50回記念大会の主題は、「女性関連施設が築いてきたもの、そして、明日へのチャレンジ」とし、昨日はこの50年間を振り返り、今日の午前中は男女共同参画を推進する拠点として期待される女性関連施設が抱える課題別の情報交換を行いました。この後、これまで女性関連施設を支えてくださってきた皆様にリレートークをお願いしました。お忙しい中お引き受けくださいました皆様に改めてお礼申し上げます。リレートークで多くのご示唆やご助言は51年目を迎える協議会のこれからの方向を示してくださるものと思います。
私は、この50年間、初めの頃は事務局として、半ばころからは会長代行として、この11年間は会長として、全国大会に関わってまいりました。「叩いた門は開く」の言葉通り、さまざまな困難を乗り越え、女性のための女性の手による施設作り、施設運営を皆様に支えられて今日まで歩んでまいりました。半世紀を一つの節目として、主婦会館・プラザエフでの50回大会を機に協議会の会長を下りることとしました。昨日開かれた役員会・総会では規約が改正され、新しい役員が選任されました。
男女共同参画の拠点として期待される女性センター、男女共同参画センターの充実をめざし、全国女性会館協議会は時代に即した活動に取り組むことでしょう。
本大会が充実した成果を上げ今後の施設の管理運営に貢献できることを祈念してご挨拶とします。2006年10月19日
全国女性会館協議会会長 中村 紀伊